
[2008.05.21] 保障(補償)の観点〜「終身」教について
保険や共済の世界では、「終身」という言葉が一般受けするようです。先日も、ある共済機関の方々との会合の中で、その共済機関にはこれまで品揃えの無かった「終身共済」を、組合員の強い要望により投入するかもしれないという話を聞きました。曰く「一生涯の死亡保障を提供する」「死ぬまで入院保障がある」・・・。確かに聞き心地の良い話です。そういう保険や共済に加入しておけば、「ずっと、死ぬまで、安心」という気持ちになる人は多いでしょう。大きく揺れ動き、先行きの不透明な世の中にあっては、そういう「安心感」「安定感」を得られることは、精神衛生上、多大な効果があるのだろうと思います。
しかしながら、やはり多くの人が重視している経済的・金銭的な側面から見ると、疑問符が付きます。
たとえば、医療保障。入院すると日額5,000円とか1万円などという形で「定額」の保障の準備をするわけですが、インフレが現実のものとなっている中で、長期間にわたる一定額の保障は、いつまで現実的に有効と言えるのでしょうか。
また、そのような保障を得るには、保険料・掛金というコストを、何はなくても延々と支払い続ける必要があります。終身に限らず、 保険・共済への加入というのは、誰もが必ず入院するわけではないのですから、「実際に役に立つかどうかわからない支出=ぜいたく消費」と見ることが必要です。このコストは当然、普通に生きていく上でのお金を減殺します。
さらに、現在の主流である「入院」を前提に保障を行う医療保険は、その形が時代に合わなくなってきていることも知っておきたいところです。国の財政難に伴う強い医療費削減要請により、平均の入院日数が減り続けています。
この医療保障に限らず、死亡保障など「ヒト」の保障は、自助努力(貯蓄の増加)により、いずれはわが家の家計から消滅させていくものと捉えるのが、妥当な考え方ではないでしょうか。より多くの貯蓄は「保障」だけでなく、「借金」の必要も消してくれます。
同じ保障(補償)を考えるのなら、貯蓄ではとても間に合いそうもない「家(災害)」の補償や「加害者」としての補償を考えるのが先と、最近の大きなニュースが教えてくれています。ムードだけで、あまり現実的な根拠のない「終身」教は、できるだけ早く卒業しましょう。
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