
[2008.06.11] 四川大地震・現地調査報告
成都空港へ降り立ったのは、四川大地震(2008年5月12日・M8.0)17日目だった。曇り、気温28℃、湿度80%、ともかく蒸し暑い! 劉備玄徳、諸葛孔明が勇名を馳せた三国志の時代から、四川省(蜀)は「蜀犬は陽に吼える」と言われるほど太陽は珍しく霧や曇天の日が多い。周囲を山脈に囲まれた亜熱帯盆地は、常に高温多湿で食べ物が痛みやすいため、麻婆豆腐、タンタン麺に代表される四川料理は香辛料を効かせたものが多い。翌日からホテルを早朝出立し、深夜に戻る強行軍の現地調査が始まる。成都市内の被害は少ない、しかし、車で2時間行った道教発祥の地「青城山」に入ればそこはもう被災地だった。道の両脇にレンガや瓦礫が散乱し崩壊した建物が散見できる。そして、しばらくすると軒並み倒壊した建物と青い救援テントとの混在がどこまでも続くようになる。所々で取材をしつつ、まず都江堰(とこうえん)を目指す。世界遺産に指定された都江堰は、2300年前に李さん親子二代によって作られた壮大な古代水利(灌漑)施設で、四川をして「天府之国」と言わしめるほど成都平野を豊穣な穀倉地帯に変えた。その都江堰市で多数の生徒が犠牲になった中学校崩壊現場は、雨に打たれ白茶けた花輪と線香が瓦礫の間に手向けられている。黙々と手を合わせる人々の傍らでは、遺族と思しき人たちが手抜き工事の責任追及集会を開いていた。
我が子の死を受け入れられない両親は毎日崩壊現場に二人でやってくるという。壊れたのは建物だけでない。一人っ子政策もあって心に癒すことのできない深い傷を負った無念の人々が瓦礫の前に立ち尽くす姿は痛ましい限りである。
通達もあってか地震前と比較して物価は上がっておらず、米が1Kg3元から5元で売られている。被災者には政府から1人1日10元(約170円)、食料500g、油類16gが支給されていて、中国とは思えない被災者支援の素早さに感心した。しかし、救援テントや応急仮設住宅の中は40℃以上の猛烈な蒸し風呂でエアコンはない。高速料金所で車のタイヤを消毒し、被災地道路では消毒噴霧車が時折回ってくるが、それらは鳥インフルエンザ蔓延防止策と思われる。仮設トイレは穴を掘った上に石板やレンガを積み、隣と境のない汚物の見えるトイレにハエも飛び交う。今後雨期に入り衛生管理を徹底しないと感染症や伝染病発生の恐れもある。被災者が手放さないプラスティックのハエたたきが実情を語っていた。そんな中でも、私が日本人と知ると「日本に感謝していると伝えてください」と口々に言い手を合わせる人もいる。これも今までに無かった光景であった。
被害が少なかった地域の至る所に透明の義捐金ボックスが置かれ、善意の紙幣が積まれる一方、被災地では瓦礫の中から盗み出す鉄材泥棒も横行している。10万平方kmといわれる広大な被災地復興と、1400万人の生活再建はまだ始まったばかりだ。自他共に認める防災先進国日本への期待は少なくない。明日はわが身と思い、一人ひとりがもっと真剣になって防災対策にコストとエネルギーを傾注しなければ、真の防災先進国にはなれないのだ。
四川大地震現地調査画像 http://www.bo-sai.co.jp/shisengentityousa.html
▼ 他の記事も読む



